ポール・オースターにまつわる想い出。
僕は20代前半の頃、バンド活動をしながら某大手出版社の翻訳書編集部でアルバイトをしていた。
ゲラのコピーをとったり、手書きの原稿をワープロ打ちしたり、原稿を受け取りに行ったり本を発送したり、
編集部の雑事全般をこなす忙しい日々の中、編集部に送られてきた献本の中にポール・オースターの新刊があった。
献本は編集者がチェックして必要がなくなったら放出箱と呼ばれている箱に入れられる。
この中の本は貰ってもいいことになっていたので僕は気になっていたオースターの新刊を速攻でゲットした。
すでにニューヨーク3部作を読んでいた僕はすぐにその新刊(確か「リヴァイアサン」だったとおもう)を編集部のデスクで夜遅くまで読んだ。
よほど夢中になって読んでいたのだろう。
僕と背中合わせで座っていた隣の文芸誌「すばる」編集部の編集者Hさんが、
「なんか夢中で読んでるけど、ポール・オースターってそんなに面白いの?」と話しかけてきた。
「面白いですよー」と答え、デスクにあった「幽霊たち」を渡すとHさんは、ほんの30分程で読み終えて「面白いねー、他のも読んでみようかな」と言った。
そこからHさんといろいろ話をするようになった。
共通の音楽好きということもあり、飲みに連れて行ってもらったり、僕のバンドのライブにも必ず来てくれるようになった。
いろいろお付き合いしているうちに、僕を「すばる」編集部にフリーの編集要員として推薦してくれた。
僕はそこから6年以上その編集部で進行を務めさせてもらった。
進行役は気楽だったアルバイトとは違い、雑誌が毎月校了するまで責任重大な仕事だったので気が抜けず大変だったが、文芸の世界で仕事をさせてもらい素晴らしい経験をたくさんさせてもらった。
その間、僕のバンドはメジャーデビューし、Hさんは副編集長になり、その後編集長になった。
Hさんが編集長だったのでバンド活動にも理解をしめしてくれて仕事はやりやすかった。
雑誌を校了した後、徹夜明けでそのまま一緒にフジロックに遊びに行ったこともある。
ただ月刊誌なので校了時期と重なるとどうしてもバンド活動はできなかった。
それが原因でいくつかの大きなライブのオファーを断ったこともある。
その中には確かフジロックも含まれている。
そのことは今でも他のメンバーに対して申し訳なかったと思っている。
まあ、いろいろあった。
Hさんの話になってしまったが、オースターが亡くなったと知って、まず思い出したのがこういう過去の記憶だった。
もし、自分がポール・オースターを読んでいなかったとしたら、別のパラレルワールドを生きていたかもしれない。
何かが偶然の引き金となってさまざまな出来事が起こるということを主題として書き続けたオースターに感謝と共に伝えたい話でもある。
ポール・オースターは一番好きな作家だった。
今はHさんもこの世にいない。
月日が経つのは早いというが、なんだか唖然としてしまう。