最近YouTubeを更新してないけど、そろそろまたやります。
ここのところギターはとにかく練習してることが多い。
音楽は学ぶことが尽きることはないが、多角的に学んでいることがたまに予想外な化学反応で何かと何かがくっ付くように形になって見えるようになる。
その形は、まだほとんどが歪だが形になって見えるとどこを削ればいいのかとか何が足りないのかが伺えるようになる。
そして大抵、削るべきものは自分の至らない部分を誤魔化すために長年かけて出来ていった手癖みたいなもので、こういうものは「個性」だとか「持ち味」ではない。単なるハッタリのようなものだ。
そして、足りないのは "基礎" だ。
基礎がなくてハッタリでなんとかしているようなものは中身は空だ。
それは嫌だから少し進んだことにして、また戻ってやり直す。
そういうことをずっと繰り返すしかないのだと思う。
あとは曲を少しづつ作ってDTMで記録していったりしてる。
まとまったらどこかにアップします。
あんまりのんびりやってると人生終わってしまうなーという歳になったが、もう何を焦ってもしかたがない。
とはいえ若い頃に戻りたいかというとぜんぜん戻りたくはない。
振り返ると反省点が多すぎて思い出すのも嫌になる。
若い頃はそれはそれで楽しいことも多かったが、その分無駄なことにエネルギーと時間を消費しまくっていた気もする。
そのエネルギーというのも大概が自惚れから生まれたエネルギーのようなもので、そのエネルギーでは当然どこにも辿り着かない。
歳を重ねてそういうことに徐々に気がつき、これからでも可能だとおもえる範囲でなんとか修正を加えていった先に今の自分があるのだから戻りたいはずもない。
とにかくそれでもやりたいことをふるいにかけ、これからできることを見極め、ときおり体調や雑事にじゃまされながらもやると決めたことは淡々とこなしていくことを心がけている。
それにしても今の時代集中力を妨げる物がスマホを筆頭にとにかく多いので気が散らないようにするのに工夫もいる。
じゃあどういう工夫をしたら良いのかと調べるとそれに対する対処法やそういった内容の本もいろいろ出てくる。
それで今度はどの本がいいか調べ始める。
そうやって無限に湧いてくる泉のような情報の中を泳いでいてはダメなのだ。
写真は一昨日観に行った Fabiano Do Nascimento @代官山晴れ豆。
この箱は音は良いけど、席が後ろの方だと前の人たちの頭でステージがぜんぜん見えなくなる。
エフェクトの使い方が上手い人なので足元が少しでも見たかったが終始写真の通り頭と頭の隙間から少し手元が見える程度だった。
Fabiano Do Nascimento はどのアルバムも柔らかいサウンドとビートのバランスが良くて音量の起伏も整っているので自分がやっているカフェのBGMで使いやすくてよくかけている。なのでライブで演った曲はほとんど聞き覚えがあったんだけど、いつもはギタリストというよりもサウンドメイキングの上手いアーティストのアルバムをかけているというイメージで流し聞きしていたので、今回のライブでガットギター1本のソロ演奏を聴いてギタリストとしての素晴らしさに驚いた。開放弦を混ぜた風通しのいい表現豊かなアルペジオをループして、モチーフ、シークエンスをうまく使いときおり力強くスピーディーにアクセントをきかせたフレーズを散りばめていく。空間系、シンセ系のエフェクトを生音を損わず自然にかけた音造りもよかった。