Life is like riding a bicycle.

To keep your balance you must keep moving.

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最近は我が身に小さな災難が立て続けに起こり、少しまいった。

7月に入ってすぐの頃に店の脇に草が生い茂り、そこのとこを眺めてはそろそろ除草しなければと考えていたところやはり、細君にも草取りしろとせっつかれ仕方なく暑い日の夕に厭々ながら三十分ばかり草をむしったところ、右の二の腕からチクチクと痛痒い感覚に覆われ、何も考えずに掻きむしっていたところ赤いブツブツがブワーっと出来始め、うわーっと思ってキンカンを塗りたくり、とりあえず忘れて、その日は寝たが、次の日にはその赤いブツブツがモコモコと腫れ上がり右腕だけだったはずが左腕や首の後ろにも広がったので仕方なく医者に駆け込んだところ「ケムシですね」とクールに告げられ軟膏をもらってから頭を垂れ帰った。それで治れば良かったのだが、それから三日経ってさらにブツブツは増え続け再度お医者に行きさらに強い軟膏をもらったのでブツブツの勢力は弱まったがケムシの毒によって身体のヒスタミンスイッチがオンになり、こんだ手の指の側面に汗疱がブワーっと出来始めこれもまた痛痒くなったが掻いたら皮が捲れ悪化の道を辿るのは目に見えているため掻きむしりは我慢していたら突然サウナに行くことを思いついた。ケムシの毒を汗で流し切ってしまえば良いのではないかといい加減な検討をつけたのだ、なお手の指は汗疱なのだから汗を出してしまえば萎むのではないかと考え、サウナに行った。熱めのサウナだったので熱源から遠いところにはすでに人が座っていた。熱源の近くしか空いていなかったが目の前はやめておこうと一番上に座ったら熱は上の方に来るものなので常軌を逸して熱く、五分程で吐き気がしてきて身の危険を感じたので外に出た。そして吐き気と動悸がおさまるまで休憩所で三十分ほど寝てから帰った。その時は気が付かなかったがサウナの熱で唇を火傷していた。それにサウナはケムシ毒には全く効かなかった。唇は数日腫れたりヒリヒリした。唇腫れてるよと言われるたびに五分しか入れなかったサウナになんか行ったことを後悔し。手の汗疱はギターを弾くのに支障をきたすし、全体的につまらない気分なので運動をして気持ちを入れ替えようと二日続けて無理にランニングをしたらめちゃくちゃ腰痛になった。

 

他にもこんなようなことがこまごま連続して起こった。

こういう感じの時って、まあ年に一時期や二時期くらい誰にでもあると思うのだが、こういう時、個人的には「何かのバランスが崩れているのだ」と思うことにしている。

なんのバランスかはわからない。

ただ元を辿るとたいていは、「あれがバランスを崩したきっかけの様な気がする」と思うことがある。

それは大抵は些細な、枝葉末節なことだ。

何かやらなければいけないことを気になりながらもほったらかしにしているとか。

ある晩ワインを飲みすぎたとか。

そういうちょっとしたことなんだけど、今回のは元を辿ってみて、はたと思い当たったきっかけは小説だった。

ミシェル・ウェルベックの「滅びる」という上下巻をだらだらと数週間かけて寝る前に読んでいたのだが、これが最後の方になって急にダークな闘病記の様な話になったのだ。

で、主人公が自分と近い年齢だったりレディオヘッドを聴いて育った過去があったり、主人公の見ている風景や事の感じ方に共感するところがあり、気が付かないうちに自分を主人公に重ね合わせるように読んでいたのだ。

でも、やっぱり最後は感傷を誘いながらも、こりゃひどいと思える終わり方だった。

えーっ 、 、 。 みたいな。

ウェルベックは予言めいたこととか現実を突きつけることによって、なにか人に警告的なこととか、ここんとこ見過ごしてますよーとか伝えたいのだろうか。

わからない。

ウェルベック自身スキャンダルでひどいことになってるのに、小説までこうしますか、みたいな。

まあこういうのに関心する筋金入りの読書家とは僕は違うので、こんな話なら読まなきゃよかったな。タイトルからして楽しげではないのだ。油断していた。まあいい。と思ってそのことはぽいと忘れていたのだが、思い返してみると、あそこから自分の心がダークワールドに首を突っ込んで唇をすぼめて覗いていたような気がする。

だからといってケムシに刺されるかと言ったら関係ないかもしれないけど、ケムシはしっかりと僕の心を落ち込ませる十分な威力があったわけだし、心のバランスが取れていたら、農業経験者の僕は夏だからあえて長袖で、しかも首の周りもしっかりタオルで覆って除草作業をしていたはずだ。

そこを何も考えずに軍手もせずにそれまで過ごしていた半袖でやっつけようとしてしまったのだ。

僕はこういうのもバランスの崩れからくるものだと単純に考えることにしている。

しかし、当たり前だがウェルベックは本当に上手い。
脳にとって読書は体験に近いと言われて久しいが、読者をここまで引き込むとは。

ウェルベックは、 ”人はこのような感覚で、この様な道を辿り、気がついた時には大抵こうなっているのだ" ということを自分が見てきて感じてきた通りをフィクションに置き換える。

そして、その文体とストーリー構成は人の脳にそれを「自身の経験」だと錯覚をさせるだけの引力がある。

そういうことだったのだ。

あのウェルベックの鷲鼻を見て、これはちょっとやばいかもなーくらいは思っとけばよかったのだ。 

引き込まれてたのだ結局は、魔術のような物語の世界に。

知らないうちに、小説の中に絡め取られていたのかもしれない。

まったく、何事にも油断ならないのだ。

そして、やはり創作物には大きな力があるのだ。

 

 


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で、話は変わるけど、

バランスといえば、今日は店で朝からトミー・ゲレロの名盤『Loose Grooves & Bastard Blues』を繰り返し流している。

昔は謎でしかなかったこのアルバムのかっこよさも今は自分なりに理解できる。

一言で言えばとにかくバランスがいい。

この作品は発売当時、人に薦められて買って聴いた。

その時は「なんてチープな音作りで、なんてシンプルなギターを弾くのだろう。それでなんでこんなに音楽から風景が立ち上がるのだろう。なんでかわからないけど、かっこいいんだよなー」という印象だった。

で、それからずっと同じ感覚で聴き続けられている。

20年以上聴き続けて飽きないなんて自分の中ではギター名盤の上位だ。

メロディーとリズム、ピッキングのアタック感、音色、曲によって選ぶ楽器、色々な要素から生まれるグルーヴ感。

さらにギターのテクニックとかに対してどうでもいいプライドが無く、かっこいい音楽を作るということに重点を上手く持っていけている。

自分が言いたいことは何かを最後まで忘れないで作り込めているのだ。

こういうことは実はとても難しいことだと思う。

スケーターはバランスがいい。

フィジカルにバランスに特化しているので音楽を作ってもバランスがすこぶる良いのだろう。

自分と向き合った上で、人の目を排除できる人間にしかあんなランプには挑めないだろう。

逆に言えばケガを厭わないほどの高いランプに挑む真剣さで音楽を作れる精神を持っているということなのだろう。

スケートで精神的に磨かれている部分が音楽にも有効なのだ。

この人はテクニック的には上手いギタリストではないかもしれないけどこれが中途半端に上手いギターだったらこの作品で使われているチープなサウンドのドラムマシンとのバランスも取れなくなってくるだろうし、全て真似のしようがない奇跡的とでも言いたくなるような整い方をしている気がする。

このアルバムの音からは90年代のカリフォルニアにあったであろう空気感を今でもありありと感じることができる。

この人は、髪型とサングラスとひげのバランスもいいし。

そういうとこなのだろうか。

 

なんの話だこれ、、。まあいい。

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バランスを取り戻すには結局ギターを弾いて練習したり、弦を交換したりパーツを変えてみたり。エフェクターを並べてつまみを調整しながら音色をいろいろ試してみたり。

ギターを弾いて音を出しているとなぜか心が整ってくる気がする。

僕にはそういうことが人生のバランスをとりながら歩くための杖の様な役割を果たしてくれている。